下町芸術祭

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2019/09/25

レポート|【下町芸術大学】8月23日和田幹司さん新長田学総論「グレーター真野のふつうの暮らし」

8月23日より、「下町芸術大学」がスタートしました。第1回目の講義では、「1.17KOBEに灯りをinながた実行委員会」の委員長を務めていらっしゃるワダカンさんこと和田幹司さんに講師を務めていただきました。会場となったのは、下町芸術祭の会場にもなっている「駒ヶ林会館」です。

ワダカンさんは震災以降、生まれ育った長田の郷土史も研究されており、著書は4冊。今回の講座では、第1回目にふさわしく新長田学総論として、新長田の歴史を古代から現代まで一気におさらいし、下町芸術祭の舞台となっている新長田とその周辺がどのような地域なのかの全体像を掴んでゆくという構成でした。約1500年分の歴史を振り返ったため、内容が盛りだくさん!みなさんメモを取りながら真剣に受講されていました。

 

「グレーター真野」とは?

まずタイトルにある「グレーター真野」について和田さんからご説明していただきました。「真野」は言葉の通り「真っ平らの野」を表す言葉で、もともと長田区にある旧の東尻池村、西尻池村を指していた地名です。また、「真野」が和田岬や三石神社のエリアまで指していた時期もあるそう。そして、長田区は兵庫区・須磨区の南部と似た特徴を持っているので、同じような特徴を持つ広域のエリアを表す言葉として「グレーター真野」と和田さんが名付けたそう。ちなみに、「グレーター」とは、地名の前につくと「周辺」という意味を持ちます。パリでお仕事をしていた和田さんは、フランスではパリの周辺のことをグレーターパリと呼ぶことを教えてくださいました。よって、今からご説明する「グレーター真野」の範囲は、現在の真野地区のみならず、兵庫区、長田区、須磨区のエリアも含まれます。

みなさんは「新長田」と聞くとどんなイメージをお持ちですか?新長田は靴や粉もん、ものづくりの町と言われていますよね。しかし、和田さんは、それはここ100年の話だと言います。新長田学総論では、それよりずっと前の新長田のことまで遡りました。

 

平清盛と兵庫津

まず平安時代は「グレーター真野」がどんな地域であったかご説明いただきました。

平安時代に平清盛は現在の兵庫区南部に訪れました。その際に、海、山、川がすべてそろっており、しかも平らな地が広がるこの地域をとても気に入り、自分の領土としました。そして、荘園ができていったころ、兵庫の荘ができたと和田さんは言います。荘は大きく3つに分かれ、上の荘(和田岬のあたり)、中の荘(長田神社を主体とした駒ヶ林のあたり)、下の荘(板宿のあたり)であったと言います。平清盛はこの地を都にしようと整備し、兵庫津が誕生し、港を中心に商業地へと発展していきました。

また、その時代から「グレーター真野」のエリアの人々は、強い自治の精神を持っていたと和田さんは語ります。5世紀や6世紀は、都が長田からはずいぶん離れた京都にありました。さらに、江戸時代には、城下町が尼崎にあったため、「グレーター真野」のエリアは畿内の端にある、最果ての地のような扱いだったそう。だからこそ、住人たちはお殿様ではなく自分たちで町を守らないといけないという精神を育んでいったのです。

例えば、「兵庫運河」も民間の力で整備されたものです。兵庫津のあった和田岬は船の難所であったため、迂回ルートとして兵庫運河が作られました。

 

工場用地としての発展

「グレーター真野」のエリアである長田区や兵庫区の南部には、多くの工場や企業があり、ものづくりが盛んですが、そもそもその発端は何だったのでしょうか。和田さんは「カネボウ」が工場用地として使いだしたことだと言います。鉄道、運河、海に近く、井戸水も豊富にとれる土地柄と、マッチ産業で働いていた優秀な人が多かったこと、大阪・神戸の大きな消費地が近いことに目を付けたカネボウが工場用地として土地を買収したのです。それを皮切りに、この地域周辺に工場地帯として発展していったのです。

さらに、この地域ならではの工業の特徴として、創業に外国の人が関わっていることも大きな特徴だと言います。また、作業者として、経営者として奄美、沖縄諸島、朝鮮半島、ベトナムからも人が来ていたとも語ります。新長田の多様性の基盤がこのころにできていたのかもしれません。

 

新長田の現在

さて、ここで現代まで戻ってきました。現代の「グレーター真野」は、新しい動きを見せているとおっしゃいます。例えば、新長田ではベトナムの人が増えてベトナム料理のお店が増えていたり、若い世代がそれぞれの業種が交流しアイデアを交換したり、あかちゃん、子ども、高齢者も一緒に活動できる場所が誕生したり。2019年には新長田に合同庁舎ができたということで、働く町としての特徴も出てくるのではないかとおっしゃいます。

この地域は、今度はどんな進化を遂げていくのでしょうか。「まだまだ、これからです。みんなで考えましょう」と和田さんは語ります。

 

ワダカン史を振り返る

最後は、質問コーナーに代わり、「ワダカンさんについてもっと知りたい」という声に応えてワダカンさんの歴史について掘り下げる時間となりました。

和田さんは23歳まで新長田でいましたが、ミノルタに入社後はほぼ海外でお仕事をしていらっしゃったとか。パリ、東京、ニューヨークでお仕事して、定年退職後長田に帰ってきたそう。そしてその2年後に阪神淡路大震災が起こり、それをきっかけに様々な取材やラジオへの出演、地域のボランティア活動に積極的に参加するようになったと言います。

現在では、最新刊『グレーター真野の空から』をはじめとする長田の産業史やまち歩きについての本を出版されています。もっと長田について知りたい!という方は、ぜひお読みください。下町芸術祭の総合インフォメーションや公式カフェでご覧いただけますよ。

 

最後に

今回の講義では、長田区や兵庫区といった現在の行政区画ごとに歴史を振り返るのではなく、同じような特徴を持った地域を一つのエリアとして地域の成り立ちを学ぶことで、このエリアの全体像を掴みました。下町芸術祭の主な舞台は新長田ですが、このグレーター真野のエリア全体を見ることでより新長田の解像度が上がりました。

また、今回の講義のタイトルは「グレーター真野のふつうの暮らし」だったこともあり、和田さんは「下町芸術祭もふつうに楽しみましょう」と締めくくられていました。下町芸術祭まで残り3週間となりましたが、肩ひじ張らずにみんなでふつうに楽しみましょう!

 

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